ジャム
2007-01-13


毎年、梅酒と梅サワーを作り、引き上げた梅はジャムにしている。
手持ちの梅ジャムは最後の一瓶になったが、安売りユズでママレードを作った。
これでまた当分ジャムには困りません。

ジャムを作りながら、気持ちはいつもポーランドとオランダを行き来する。
(実は、地理も全然わからないのですけどね・・)


アンネ・フランク一家をはじめ、隠れ家の人たちをサポートした女性ミープ・ヒースさんは、ポーランドで生まれた。

当時のポーランドは戦争や凶作で、子供たちが飢え死にする事態になっていたそうだ。
国の政策で、食料のある地域へ子供たちが送られることになった。

幼いミープさんも、首に行き先の札をぶら下げられ、列車に乗せられた。

列車には、同じように札を下げた子供たちで満員だ。
駅に着くたびに、子供たちは何人かずつ降りていく。

ある駅でミープさんは降ろされた。
駅の待合室のベンチで待っていると、子供たちの札を一枚ずつ確かめていた男の人が、ミープさんの札に手を止めた。
そして、「よし」とうなずくと、ミープさんの手を引いて夜の町を家に連れて行った。

子供の多い家で、「一人ぐらい増えても同じだ」とその家族は思ったのだそうだ。
言葉もわからないオランダで、ミープさんの生活は始まった。

次の朝、ミープさんを仰天させたことがある。
そこの子供たちは、パンにジャムを塗って2枚合わせて食べるとき、2枚のパンのどちらにもジャムを塗ったのだ。


オランダで成長したミープさんが入社した会社は、ジャムの凝固剤ペクチンを売っていた。
そして、「おたくのペクチンを使ったけどうまくできないわよー」などという主婦からの電話に、使い方をきちんと説明する仕事をこなしていく。
会社の社長はオットー・フランク。アンネのお父さんだ。


ミープさん夫婦は、隠れ家の生活を支え、アンネの日記を保管し、家族をすべて亡くして戻ったきたオットーと一緒に暮らすことになる。




私がアンネの日記を読んだのは12歳の時でした。
ちょっと読んでびっくりしましたよ。
今のアンネの日記は深町眞理子さんの訳ですが、当時は皆藤幸蔵さんの訳で、それはそれは漢字が多かったのでした。

アンネは13歳、私は12歳。
「アンネちゃんすごい〜! こんなにいっぱい漢字を知ってる! 毎日『親愛なるキティー様』って書くなんて大人みたい! 私もあと一年たったらこんなに漢字が書けるようになるのかなあ・・・ならないだろうな・・・」
それからずっと尊敬しております。

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