映画「蟻の兵隊」
2006-11-12


kijimunaさんは、沖縄大学の戦争出前噺に行き、
私は、桜坂劇場に「蟻の兵隊」を見に行きました。(分業です^^;)

きつい映画だと予想がついていたので、監督とご本人の挨拶のある時間帯を選びました。
ご本人の姿を見ると、安心できるに違いないと思ったのです。
(桜坂劇場のタダ券がその日までだった・・・こともありますが、はい)

奥村和一さんは、中国山西省にいた日本兵です。
終戦後も中国に残り、中国国民党と一緒になって戦いました。
2600名の日本兵がそうしました。
なぜなら、上官の命令があったからです。

大日本帝国を復興させるために、兵を連れて戻ってくる、それまで天皇陛下のためにここで戦え、という命令です。
戦後4年間戦って、2600名のうち550名が戦死、奥村さんは捕虜になり、日本に戻れたのは1954年でした。

日本に帰ってきたものの、勝手に中国に残って勝手に戦った逃亡兵扱いで、軍籍も抹消、年金もありません。

自分たちが残ったのは命令があったからだ、という証拠探しのために、奥村さんは中国に行き、初年兵教育の仕上げとして、人を初めて殺した場所に行きます。

その土地に今も暮らす中国の人たちと話しながら、あるときは日本兵の論理になり、あるときは穏やかなおじいさんの視線になる奥村さん。

戦争は人を殺すことです。
そのために、抱えなくてはならない残りの人生。
その責任を取ってくれるところはどこにもありません。

映画の中で例のあの神社が映ります。
「今年もいいことがありますように、と初詣に来た」少女たち。
日本軍のコスプレをした一団。
暴走族としか思えない若者たち。

私がショックだったのは、そこで小野田寛郎さんが演説をしていた場面です。
奥村さんが「小野田さん、侵略戦争を美化ですか」と問いかけると、小野田さんは怒って怒鳴り返します。

演説をしている時から、小野田さんは何か変な雰囲気でした。
本気でない感じ、おちゃらけている感じなんです。

見に行かれた方の感想をお聞きしたいシーンでした。

あと3週間上映しています。
多くの方に見ていただきたい映画でした。

監督と奥村さんのトークは、映画の裏話やお二人の出会いなど、奥村さんの真面目さからにじみ出てくるユーモアにあふれたものでした。

次の上映時間が迫り、帰ろうと席を立ったものの、列が全然進みません。
????と思っていると、ドアのところに監督と奥村さんがいらして、一人一人と握手、お礼を言っておられたのです。

私も何か言おうとしましたが、握手の瞬間は、言葉になりませんでした。
ほんとうは、「奥様、魅力的な方ですね」とか言おうと思っていたのにな。

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